Views: 1
八木重吉の代表作「素朴な琴」と、風花未来の「ピッコロ」。
この二篇の比較は、非常に美しい対比を見せてくれます。
まずは、「素朴な琴」の全文を引用。
素朴な琴
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだろう
次に、風花未来の詩「ピッコロ」を引用。
ピッコロ
いちばん高い音を出す
いちばん小さな楽器
ピッコロ
だから お前は
いちばん速く
あの遠い
いちばん初めに
帰ってゆける
縦糸だけの
細く短い一生だ
ピッコロ ピッコロと鳴きながら
神様を呼ぶ
でも 実は
神様に呼ばれているとも知らずに
初めの世界は
純白の微光
小鳥と妖精しか棲めない国
ピッコロ ピッコロと歌いながら
小さな翼で小宇宙をぬらす
ピッコロ ピッコロと自分の名を
幾度もくりかえし
やがて 最初のところへと
吸われるように消えてゆく
どちらも「楽器」を自分の魂(あるいは存在そのもの)のメタファー(暗喩)として用いていますが、その「鳴り方」と「向かう先」が対照的です。
楽器の音色、描かれる動き、そして背後にある死生観について論じます。
- 楽器のメタファー:『受動の琴』と『能動のピッコロ』
※メタファーとは、隠喩(いんゆ)、白い肌を「雪の肌」と言うなど。
二つの詩の最大の違いは、「音が鳴るきっかけ」にあります。
八木重吉「素朴な琴」:圧倒的な受動性(共鳴)
「秋の美しさに耐へかね/琴はしづかに鳴りいだすだろう」
重吉の琴は、自分から演奏しようとはしていません。そこにあるのは「耐えかねる」という感覚です。
外側の世界(秋の美しさ、光)があまりにも圧倒的で純粋であるため、内側の魂(琴)がそれに反応し、あふれ出るように、やむにやまれず鳴ってしまうのです。
ここには「私が歌う」という自我はなく、世界と自分が溶け合う「完全な共鳴」があります。
風花未来「ピッコロ」:切実な能動性と導き(回帰)
「ピッコロ ピッコロと鳴きながら/神様を呼ぶ」
一方、風花未来のピッコロは、高い音で必死に自分から鳴いています。それは「呼ぶ」行為です。
しかし、この詩の白眉(はくび)は次の行です。
「でも 実は/神様に呼ばれているとも知らずに」
自分では必死に羽ばたいているつもりでも、実は大きな存在(神、あるいは運命)の磁力によって吸い寄せられている。
この「能動的に見えて、実は大きな愛に包まれている(導かれている)」という構造が、風花未来独特の安らぎを生んでいます。
- 視覚と聴覚のイメージ:『広がり』と『高さ』
重吉:水平の広がりと、低い振動
重吉の詩の舞台は「この明るさのなか」です。
具体的な場所は描かれませんが、秋の陽光が満ちる広い空間に、ポツンと琴が置かれている情景が浮かびます。
「しづかに鳴りいだす」という表現から、その音色は決して派手ではなく、心の奥底でブンと震えるような、低く深い「振動」を感じさせます。
風花未来:垂直の上昇と、高い音色
対して「ピッコロ」は、その名の通り「高音」です。
「縦糸だけの/細く短い一生だ」
「いちばん初めに/帰ってゆける」
という言葉通り、この詩のベクトルは「垂直(天へ)」に向いています。
重吉が「この場(現世の美)」に留まり震えているのに対し、風花未来は「小鳥」や「妖精」のように重力を振り切り、天上の「初めの世界」へ向かって「上昇・消失」しようとしています。
- 思想と死生観:『美への没入』と『魂の帰郷』
八木重吉の思想:今、ここにある「美」による浄化
「素朴な琴」は、死を意識しつつも、視線は「今、目の前にある美」に注がれています。
キリスト教者であった重吉ですが、この詩においては「神」という言葉を使わず、「秋の美しさ」という自然の摂理に身を委ねています。
「美しすぎて、私は私のままでいられない(音が鳴ってしまう)」という、自己の境界線が消滅する瞬間の法悦(エクスタシー)を描いています。
風花未来の思想:原点への「魂の里帰り」
「ピッコロ」には、プラトニックな、あるいはグノーシス的な「魂の帰郷」の思想が見て取れます。
※グノーシスとは、ギリシャ語で「知識」を意味し、特に人間を救済に導く究極の霊知・神秘的な知識を指します。
「初めの世界は/純白の微光」
「最初のところへと/吸われるように消えてゆく」
現世での「細く短い一生」を終え、魂が本来いた場所(神の元)へ帰っていくプロセスを、死としてではなく「懐かしい場所への帰還」として描いています。
ここでは「消えてゆく」ことは恐怖ではなく、救済として肯定されています。
- 総評:『静寂の器』と『無垢な翼』
二つの詩を並べると、それぞれの詩人が「魂」をどう捉えていたかが浮き彫りになります。
- 八木重吉の魂は「静寂の器」です。
彼は自分を空っぽにして、神や自然の美しさが流れ込んでくるのを待っています。
「素朴な琴」とは、余計な装飾を捨てた、重吉の祈りの姿勢そのものです。
(修辞的特徴:仮定法「~おけば」、推量「~だろう」による余韻)
- 風花未来の魂は「無垢な翼」です。
彼は、傷つきやすく小さな自分(ピッコロ)を肯定し、その弱さゆえに神様に一番近く、速く帰れるのだと説きます。
「ピッコロ」とは、現世を懸命に生き、やがて光へ還る私たち人間存在そのものです。
(修辞的特徴:リフレイン「ピッコロ、ピッコロ」、擬人化、物語性)
結論:
八木重吉は、世界の美しさに触れて「私が震える」瞬間を切り取りました。
風花未来は、世界(神)の愛に引かれて「私が還っていく」物語を紡ぎました。
「素朴な琴」が大人の静謐な祈りであるならば、「ピッコロ」は無垢な子供(あるいは天使)の魂の飛翔と言えるでしょう。
どちらも「純粋性」を極めていますが、その質感が「重み(琴)」と「軽やかさ(ピッコロ)」として対照的に表現されている点が、非常に文学的で興味深いです。


