貧乏という言葉を、私は笑えません。なぜなら、20代から、地を這うような極貧状態が続いていたから。
20代は貧乏でも、一面では、けっこう楽しかった。友だちに恵まれたし、先輩にもかわいがられました。でも、30歳が近づいてくる頃から、何だか、重くなってくるのですね。
振り返ると、節目節目で、大病をしており、5年間以上、順風な暮らしが続いたことがありません。若くて、健康で、夢があるうちは、貧乏は乗り越えられます。しかし……。
今、5冊目の電子書籍を出版しようとしているのですが、気が付くと、貧乏になっておりました(笑)。
採算どがえしで塾を始めたんですが、収入がないのはいいけれど、疲労がたまってきて、塾以外に何もできません。ブログの更新すら、ままならない。この分だと倒れるのではと思った時、楽天銀行の残金が、ほぼゼロになっておりました。これでは、たまった支払も、振込が簡単な楽天銀行からは、できません。
私は、経営センス、ゼロです。銀行の残金も、やがてゼロになるかもです(笑)。
正直、身につけた技術を駆使して、ブログをがんがんに更新すれば、人並み以上の収益は上げられます。ただ、今はなぜか、貧乏でいたいのです。
貧乏でいたいというのは、精神的にゆとりを持ちたいという願望につながっているのでしょうね。
しかし、貧乏だと心が豊かになるなんていうのは本当ではなく、お金を持つと心が貧しくなりやすいことは確かだとは強く感じます。
思うのは、心の貧しい、美意識の薄い金持ちにだけはなってはいけないということ。
だから、お金は要らないかというと、たぶんそうではなく、得たお金の使い方を上手にすれば、良い風が吹いてくる気がしています。
得た収益は使わないとダメです。窓を開けて風を入れるだけでは不充分。窓も、ドアも全部開けて、風を通す、まわすことが大事だと考えるようになりました。
ひょっとすると、もうそんなに収入をたくさん得るなんてことはないかもしれない。ただ自分に言いたいのは、握ったものは、解き放たないと生きてこないし、広がらないし、光を失うということ。
だからなのか、今は貧乏だけれど、貧しさにおしつぶされるという怖れの気持ちはないのです。
若い頃から人が好きだったけれど、裏切られるのは怖かった。でも今は、ますます人が好きになり、裏切りとか、そういうことは、何も考えなくなっています。人と接していられることだけで、充分に人は幸せ、そう感じているのかもしれません。
はじめまして、未来というお名前には、祈りにも似た響きがありますね。
私には5歳年下の妹がいいますが、20代のほぼ全体を病気がちに過ごしていました、そのときに彼女の名前がお守りのように彼女を守っているような気がしました。小さいときはそんな大病をするような様子はなかったのに。
病気というのは大変ですが、妹は病気をしてから本当に丁寧に一日一日を暮しているように見えます。当たり前だったことが当たり前じゃないかもしれないというのを実感しているひとというのは違います。
美しい言葉というのに興味があります。