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宮澤賢治と風花未来が時空を超えて語り合う「バーチャル対談」、二人の魂が交差する奇跡の対話をお届けします。

 

【特別対談】宮澤賢治 × 風花未来── 透明な境界線を越えて。「死」と向き合う二つの魂

 

【対談にあたって】

 

本日は時空を超えた特別な場をご用意しました。

 

愛する妹との永遠の別れを雪の朝に刻んだ宮澤賢治氏(『永訣の朝』)と、幼き日の澄み渡る空に死の魅惑を幻視した風花未来氏(『天空を渡る鳥』)。

 

時代も背景も異なる二人の詩人が、「死(異界)」という圧倒的な他者に人間がどう向き合うかについて、互いの詩を前に静かに語り合います。

 

第一幕:二つの詩の朗読と、舞台の対比

 

風花未来(以下、風花):

 

賢治さん、今日はお会いできて光栄です。あなたの『永訣の朝』を改めて拝読し、胸を強く締め付けられるような、激しい浄化の波を感じていました。

 

永訣の朝 (宮澤賢治)

 

けふのうちに

とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

(あめゆじゆとてちてけんじや)

うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から

みぞれはびちよびちよふつてくる

(あめゆじゆとてちてけんじや)

青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた

これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

(あめゆじゆとてちてけんじや)

蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

みぞれはびちよびちよ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになつて

わたくしをいつしやうあかるくするために

こんなさつぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまつすぐにすすんでいくから

(あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

…ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまつてゐる

わたくしはそのうへにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらつていかう

わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

みなれたちやわんのこの藍のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

あぁあのとざされた病室の

くらいびやうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまつしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

(うまれでくるたて

こんどはこたにわりやのごとばかりで

くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)になつて

おまへとみんなとに聖い資糧(かて)をもたらすやうに

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 

宮澤賢治(以下、賢治):

 

風花さん、ありがとうございます。わたくしの詩は、あの日、蒼鉛いろの暗い雲の下で、冷たいみぞれに打たれながら絞り出した不器用な祈りにすぎません。

 

重く閉ざされた空の圧迫感の中で、わたくしはただ、妹の最後の渇きを癒やすための糧をもぎ取ろうと必死でした。

 

……しかし、風花さんの『天空を渡る鳥』を拝読して、わたくしは深く息を呑みました。

 

天空を渡る鳥 (風花未来)

 

あの時から

わたしは変わった

幼い頃

あれは

静まりかえった

夕暮れ時だった

ひとりで遊び疲れて

家に帰る途中

なぜか あの時

ふと わたしは

真上を見上げた

目に入ったのは

空高く飛翔する

鳥の群れだった

渡り鳥だろうか

ふだんの暮らしでは

見たことがない

鳥たちだった

頭上はるか遠くの空を

飛んで行くのに

なぜか くっきりと

細部の形状までが見えた

空気が澄んでいたからか

それとも

わたしの心が

いつもと違っていたので

あれほどまでに

鳥の姿かたちが

鮮明に見えたのだろうか

どれくらいの時間

わたしは

鳥を見つめていたのだろう

それは わからないが

何もかもを忘れて

ただ 鳥を見つめていた

見つめていた

あの時から

わたしは変わった

あれから

気が遠くなるほど

時が流れ

歳を重ねてきたが

あの日 あの時に見た

天空を渡る鳥たちほど

美しいものを

この世で 一度も

見ていない気がする

あの時のことを

想いだすと

碧色に澄んだ

深い清流のように

心が奥底から

しっとりと

透きとおってゆくのだけれど

と同時に

怖い気持ちにもなる

あの時

ひとりぼっちの少年は

神に似た鳥に

心をうばわれた

というより

少年の魂は

空に

吸い上げられてしまった

あのまま

少年が昇天してしまっても

何の不思議はない

不思議はない

もしも 昇天していたら

今 ここで こうして

息をしている わたしは

いないことになる

そうした想いが

不思議なほど

しっとりと

今は

心になじんでくる

あの時と同じくらい

静まりかえった

夕暮れ時に

今 わたしは

立っている

 

賢治:

 

わたくしが見上げたみぞれの空が「閉ざされた暗い空」だったのに対し、あなたが幼い日に見上げたのは、どこまでも高く抜けるような「碧色に澄んだ深い清流」のような空でしたね。

 

あの飛翔する鳥の群れは、神に似て、少年の魂をそのまま吸い上げてしまいそうなほどの圧倒的な引力と美しさを持っていた。

 

あの情景の鮮烈さに、わたくしは震えるような感動を覚えました。

 

第二幕:「動」の修羅と、「静」の観照

 

風花:

 

賢治さんの詩からは、熱を帯びた「動」のエネルギーが激しく伝わってきます。

 

妹さんの「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という声に押されるように、あなたは「まがったてっぽうだまのように」暗いみぞれの中に飛び出していく。

 

そこにあるのは、「自分の命を代わりにあげたい」という切実な献身であり、自然の猛威と戦う修羅のごとき愛です。

 

賢治:

 

ええ……わたくしの中には、どうしようもない修羅が荒れ狂っていました。

 

妹を失うという事実を前に、祈りと絶叫を天に叩きつけるほかなかったのです。

 

しかし、風花さんの詩は違います。あなたは動かず、ただ静かに「見つめて」いる。

 

悲壮感はなく、「あの時、少年が昇天してしまっても何の不思議はない」と、死の誘惑を受け入れている。

 

あれは、死への恐怖ではなく、運命への絶対的な信頼のようなものではありませんか?

 

風花:

 

そうかもしれません。

 

「あのまま空へ連れ去られていてもおかしくなかった」という気づきと、その運命を回避して今ここに息をして立っている自分。

 

それを不思議なほど穏やかに受け入れている私がいます。

 

賢治さんが「戦い」によって異界と向き合ったとすれば、私は「記憶との静かな和解」によって、死の世界を見つめ直したのだと思います。

 

第三幕:言葉の響きがもたらす「異化」と「同化」

 

風花:

 

賢治さんの詩を読んでいると、言葉が日常から切り離され、神聖な響きを帯びて迫ってくるのを感じます。

 

妹さんの言葉を「Ora Orade Shitori egumo」とローマ字で記したり、特異な仮名遣いを用いられたりしたこと。

 

それは私たち読者を現実から引き剥がし、あの厳粛な「儀式」に強制的に立ち会わせる強い力(異化効果)を持っています。

 

賢治:

 

妹のあの言葉は、わたくしにとって現世の言語を超えた、天からの啓示のようなものでしたから、あのように書き留めるほかなかったのです。

 

一方で、風花さんの言葉選びは実におおらかで、優しいですね。

 

「しっとりと」「くっきりと」といった平易な和語が多用されています。

 

難解な言葉を使わずに「魂」や「神」を描き出す。

 

それは読者を驚かせるのではなく、隣にそっと座って、静かに記憶を共有してくれるような温かさ(同化効果)を持っています。

 

日常を肯定するあなたの思想そのものが、文体にあらわれているのですね。

 

終幕:透明な境界線 ── 聖別と帰還

 

風花:

 

私たちの詩は、シチュエーションも、死との距離感も、言葉の選び方も対照的です。

 

しかし、どこか深いところで共鳴しているように思えてなりません。それはおそらく、「透明な美しさ」への眼差しです。

 

賢治さんは、妹さんが向かう世界を「兜率天(とそつてん)」の青い光に見立て、みぞれを天の供物へと変容させました。

 

死を忌まわしい闇ではなく、現世よりもはるかに透き通った場所として直感されている。

 

賢治:

 

ええ、風花さんも同じです。鳥の群れを「神に似た」存在として描き、その風景を「碧色に澄んだ深い清流」と表現された。

 

わたくしたちは二人とも、生と死を隔てる境界線を、恐ろしい壁としてではなく、「透明な薄布」のように感じていたのかもしれません。

 

風花:

 

賢治さんの『永訣の朝』が、愛する者を送り出すために現世の泥を払い、天へ祈りを捧げる「聖別の詩」だとすれば、私の『天空を渡る鳥』は、かつて近づいた天の記憶を抱きしめながら、再びこの現世で生きることを引き受ける「帰還の詩」と言えるかもしれません。

 

賢治:

 

わたくしの詩が、読んでくださる方の胸を締め付けるような「浄化」をもたらすのだとすれば、あなたの詩は、生きる者の肩の荷を静かに下ろすような「安らぎ」を与えてくれるはずです。

 

詩が顧みられない時代にあっても、わたくしたちのこの「透明な死生観」は、生きづらさを抱える人々の心に、きっと清らかな水を注ぐことができると信じています。

 

風花:

 

ええ、本当にそうですね。賢治さん、今日は時空を超えて、魂の底から語り合えたことを心から感謝します。

 

【読者の皆様へ】

 

宮澤賢治と風花未来。異なる時代を生き、異なる形で「死」と向き合った二人の詩人による、対照的でありながらも深く共鳴し合う世界を覗いてみました。

 

今回の対談内容の源泉となった論考は、こちらです。

 

宮澤賢治の代表作「永訣の朝」と風花未来の「天空を渡る鳥」を比較。

 

両作品のさらなる深い味わいにつきましては、以下のレビュー記事もぜひご覧ください。