山村暮鳥というと、すぐ想うのが「」という牧歌的なです。

 

さっそく、引用してみましょう。

 

 

 

おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平いはきたひらの方までゆくんか

 

「いういうと」は「悠々と」の意味です。

 

呆気にとられるほどの牧歌性ですが、時代がますますせちがらくなってきているので、こうした詩空間には現代人が忘れている開放感があり、貴重だと感じます。

 

では、山村暮鳥の一生も、牧歌的と言えるような明るく平穏なものだったのでしょうか。

 

詩の解説では定評のある吉田精一分銅惇作が編纂した 「近代詩鑑賞辞典」で、山村暮鳥の生涯について調べてみることにします。

 

 

山村暮鳥は明治十七(1884年)に生まれ、大正十三(1924年)に没しました。

 

複雑な家庭に生まれ、幼少から苦労が多かったようです。16歳で小学校の代用教員となり、英語を学ぶかたわらキリスト教に接近。キリスト教会の形式主義と自身の文学的欲求に苦悩します。

 

大正四年に刊行した「聖三稜玻璃」の難解な象徴詩風は嘲笑によって迎えられてしまいました。

 

文学的な懊悩、健康の不安などから、ドストエフスキーに傾倒。やがて、白樺派などの人道主義にひかれて転身。

 

以降は、自然礼賛、人間愛を明るく簡潔に歌うという作風に徹してゆきました。

 

このように、山村暮鳥の生涯は決して平板なものではなく、暗たんたる世界、多くの苦悩を経て、牧歌的な世界に至ったのです。

 

そうした山村暮鳥の明と暗、光と闇を知った方が、「雲」に代表される、明るく人生肯定的な詩に、より確かな価値を見出せます。