今日の風花未来の詩は「高村光太郎へ」です。
高村光太郎へ
高村さん
高村光太郎さん
あなたのことを
私は若い頃
尊敬してはいませんでした
いや
嫌っていたかもしれません
詩人で
彫刻家
精神を病んだ
妻の智恵子を
生涯
愛しつづけた
若い頃の私は
高村光太郎という人間を
受け入れられなかったのでしょう
あなた自身も
若者から
理解されてもいないのに
憧れの対象として
自分が見られる
そういうことを
拒絶していたのでしょうか
それがどうどうしたことか
歳を重ねるごとに
あなたの存在が
私の中で
鮮明になってきているのです
私は今
あなたを
偉大な人として
敬愛しているのではありません
あなたの
並外れた不器用さ
自分自身が人生に広げた風呂敷を
きちんと畳めなかった
風呂敷の畳み方の下手さは
世界一ではないだろうか
「ぼろぼらな駝鳥」みたいに
無惨なままで
人生を終えた
戦前
戦中
戦後
この3つの時代を
生きるのが
あなたにとって
どれだけ過酷であったことか
戦時中に
戦争を讃美する詩を書いた
自分が許せなかった
戦後7年間
山奥の「おんぼろ小屋」で独居し
自分を「暗愚」と責めつづけた
自身の失敗を
挫折を
見栄えの良い
何かにすり替えて
自分をごまかし
正当化することが
あなたにはできなかった
できようもなかった
世界中で
いちばん不格好な
おじいさん天使として
死んでいった
ああ
高村光太郎さん
私はあなたの
その弱さ
その愚直さ
その無惨さが
愛おしいのです
ぶざま過ぎる
醜態さえも
神々しいことを
あなた
高村光太郎は
私に教えてくれた
愛する高村智恵子は
1938年(昭和13年)
10月5日に亡くなりましたよね
あなたが
智恵子の死後に書いた
詩の美しさは
永遠不滅の大事件です
詩の発する波動は
今も私の魂を震えさせます
私も
残りの人生を
ぶざまに
愚直に生きてゆきます
あなたのように私も
風呂敷をじょうずには
畳めないかもしれないけど
私なりの愛のかたちを
貫いてゆきます