日本における女性の参政権獲得とその歴史的変遷
日本において、女性が国政選挙の投票権(参政権)を獲得したのは1945年(昭和20年)12月です。
また、地方自治体の選挙における投票権を獲得したのは翌年の1946年(昭和21年)9月のことです。
以下に、女性の政治参加に関する権利の歴史的変遷についてまとめます。
明治・大正期:厳しく制限された女性の政治参加
明治時代に近代的な議会制度が始まった当初、女性には選挙権・被選挙権が一切認められていませんでした。
1889年(明治22年)に公布された衆議院議員選挙法では、選挙権は「直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子」に限られていました。
さらに、1890年(明治23年)の集会及政社法、および1900年(明治33年)の治安警察法第5条により、女性は政党に加入することも、政治的な演説会に参加することも法的に禁じられていました。
このように、戦前の日本では女性の政治参加への道は制度的に固く閉ざされていました。
婦人参政権運動の展開
大正デモクラシーの風潮の中、女性たち自身による権利獲得への運動が本格化しました。
1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて、平塚らいてう、市川房枝らによって「新婦人協会」が設立され、女性の集会結社の自由と参政権を求める運動が展開されました。
この運動の成果として、1922年(大正11年)に治安警察法第5条の一部が改正され、女性が政治集会に参加し、発起人になることがようやく認められました。
しかし、政党への加入や選挙権の獲得には至りませんでした。
1925年(大正14年)には「普通選挙法」が成立しましたが、ここで実現した普通選挙は満25歳以上の「男子」のみを対象としており、女性は引き続き国政から排除されたままでした。
戦後民主化と女性参政権の実現(国政)
第二次世界大戦での敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からの五大改革指令による民主化政策の推進もあり、女性の参政権実現が一気に進みました。
1945年(昭和20年)10月、幣原喜重郎内閣は女性の参政権を認める方針を決定し、同年12月17日に改正衆議院議員選挙法が公布されました。
これにより、「満20歳以上の男女」に選挙権が、「満25歳以上の男女」に被選挙権が認められ、ついに日本の女性は国政選挙における投票権を獲得しました。
翌1946年(昭和21年)4月10日に行われた戦後初の衆議院議員総選挙では、全有権者の約半数にあたる約1378万人の女性が初めて投票所に足を運び、39名の女性国会議員が誕生しました。
地方自治体選挙における権利の獲得と憲法による保障
国政での参政権獲得に続き、地方政治への参加の道も開かれました。
1946年(昭和21年)9月27日に東京都制・府県制・市制・町村制などの地方制度に関する改正法が公布され、ここで初めて女性に地方自治体選挙における投票権および被選挙権が認められました。
翌1947年(昭和22年)4月に行われた第1回統一地方選挙において、女性は初めて地方選挙で一票を投じることとなりました。
同年5月には日本国憲法(第14条における法の下の平等、第15条における普通選挙の保障など)と地方自治法が施行され、国政・地方ともに男女平等の政治参加の権利が法的に確固たるものとして保障されるに至りました。
現在では当たり前となっている女性の投票権は、明治期からの長い制限の歴史と、先人たちの粘り強い運動、そして戦後の大きな社会変革を経て確立されたものです。
GHQからの五大改革指令による民主化政策
「五大改革指令」は、1945年(昭和20年)10月11日、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーが、就任直後の幣原喜重郎首相に対して口頭で指示した、日本の民主化のための5つの基本方針です。
この指令は戦後日本の社会構造を根本から変革する基盤となり、その後の日本国憲法の制定や各種の民主化政策へと直結しました。
具体的な5つの項目とその内容は以下の通りです。
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婦人の解放(女性の政治参加と地位向上)
日本の女性に対して、政治的・社会的・法的な平等を保障し、参政権(選挙権・被選挙権)を付与することです。
当時の日本社会における家父長制的な制度を見直し、女性の地位を向上させることが目的とされました。
この指示が直接的な契機となり、同年12月の衆議院議員選挙法改正による女性参政権の実現へと繋がりました。
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労働組合の結成奨励(労働者の権利確立)
労働者が団結して権利を守り、不当な搾取を防ぐために、労働組合の結成を奨励することです。
戦前の日本では労働運動が厳しく弾圧されていましたが、この指令により労働者の地位向上が図られました。
その結果、1945年12月に労働組合法が制定され、労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)が法的に保障されることになりました。
教育の自由主義化(教育の民主化)
戦前の軍国主義的および超国家主義的な教育思想を排除し、自由で民主的な教育制度を確立することです。
具体的には、修身・日本歴史・地理の授業の一時停止や、軍国主義的な教員の追放などが行われました。
その後、1947年の教育基本法および学校教育法の制定に繋がり、現在の「6・3・3・4制」と呼ばれる新しい教育制度がスタートしました。
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秘密審問司法制度の撤廃(圧政的諸制度の撤廃)
国民の自由を不当に抑圧してきた制度や法規を廃止し、基本的人権を保障することです。
思想弾圧の象徴であった治安維持法などの治安法規が廃止され、特別高等警察(特高)も解体されました。
これにより、言論、思想、集会、信教の自由が確保されるための法的基盤が整えられました。
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経済機構の民主化
少数の巨大資本が日本経済を独占していた構造を打破し、富の偏在を是正して民主的な経済体制を構築することです。
具体的には、経済を支配していた「財閥の解体」や、地主制度を解体して小作農に土地を持たせる「農地改革」が推進されました。
これにより、特権階級による経済支配が排除され、戦後の経済成長の土台が形成されました。


