「挽歌」は、原田康子の小説を原作とし1957年9月1日に公開された日本映画。主な出演者は久我美子、森雅之、高峰三枝子。
この映画は越路吹雪の気品高い歌唱ではじまります。いきなり極端なことを言いますか、映画「挽歌」はこの越路吹雪の絶唱がすべてである、といっても過言ではありません。
人物配置やストーリー展開だけを見れば、いわゆる「メロドラマ」を文芸作品ふうに脚色した映画でしょう、と早とちりされても致し方ありません。
しかし、この冒頭の主題歌が、あまりに芸術の香気高く、微妙に抑制した歌唱が心の芯まで沁みわたり、この映画はただものではないとなるのであります。
そこで、この冒頭の越路吹雪が絶唱した主題歌「挽歌」について、深堀してみましょう。
この名曲がどのようにして生まれ、なぜ越路吹雪が歌うことになったのか、その背景には当時のトップクリエイターたちの並々ならぬ情熱がありました。
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極めて高いクオリティーを生んだ「一流の才能の結集」
あの重厚で美しい楽曲は、当時の日本を代表する才能が結集して作られました。
- 作曲:芥川也寸志(あくたがわ やすし)
日本を代表するクラシックの作曲家であり、映画音楽の巨匠です(芥川龍之介の三男でもあります)。
彼の音楽は、単なる歌謡曲の枠を超えたオーケストラによるシンフォニックでドラマチックな構成が特徴です。
阿寒湖や釧路といった北海道の厳しい自然と、主人公の孤独を表現するために、クラシックの格調高さを持つ芥川のメロディが不可欠でした。
- 作詞:藤浦洸(ふじうら こう)
戦前・戦後を通じて数々のヒット曲(『別れのブルース』など)を手がけた大作詞家です。
原田康子の大ベストセラー小説が持つ「大人びた哀愁」や「ヒロインの複雑な心理」を、美しく詩的な言葉で見事にすくい上げています。
- なぜ、越路吹雪が抜擢されたのか?
当時、越路吹雪さんはすでに宝塚歌劇団のトップスターを経て、日本を代表するシャンソン歌手として確固たる地位を築いていました。
彼女がこの曲に起用されたのには、作品のテーマと彼女の表現力が完璧に合致していたという理由があります。
- 「大人の愛の絶望と孤独」を歌える唯一の存在
『挽歌』は、左腕に障害を持つ孤独なヒロイン(久我美子)が、妻ある中年男性(森雅之)に惹かれていくという、非常にシリアスで複雑な恋愛劇です。
単なる可憐な歌声ではなく、人生の影、情念、そして文字通り「挽歌(死者を悼む歌、哀しみ)」を表現できる深い響きと演劇的な表現力が必要でした。
シャンソンで培われた越路さんの「歌でドラマを演じる」圧倒的な表現力が求められたのです。
- 芥川メロディとの相性
芥川也寸志の難解でクラシカルなメロディラインを、これほどまでに気高く、かつ大衆の心に届くように歌いこなせるポピュラー歌手は、当時、越路吹雪さんをおいて他にいませんでした。
- 主題歌がもたらした映画への魔法
五所平之助監督は、情感豊かな心理描写を得意とする名匠でした。
映画の冒頭、霧深い釧路の街や北国の冷たい海という視覚的な寂寥感に、越路さんの豊かで深いアルトの歌声が重なることで、観客は一瞬にして『挽歌』の悲劇的で美しい世界へと引き込まれます。
越路さんが「愛の讃歌」などを歌う際、常に「歌うたびに白紙の状態になって、その主人公を生きる」というほど、全身全霊で詞の世界に没入していたことはよく知られています。
この『挽歌』のレコーディングにおいても、ヒロイン・怜子の抱える虚無感と激しい渇望を、彼女自身が憑依したかのように見事に歌い上げました。
昭和の映画黄金期だからこそ実現した、文学・映像・音楽の奇跡的なコラボレーションと言えます。
あの時代特有の、フィルムの質感とオーケストラの生音、そして越路さんの類まれな歌声の融合は、今も色褪せません。
では次に、この映画「挽歌」の全体像をご紹介しましょう。
映画「挽歌」(1957年、五所平之助監督)は、原田康子による同名の大ベストセラー小説を忠実に映像化した作品です。行間から滲み出るような深い心理描写と、北国の厳しい自然が美しく交錯する、日本映画史に残る重厚なラブロマンスです。
映画「挽歌」のあらすじ
物語は、右手に関節炎を患い、左肘が硬直してしまった20歳のヒロイン・兵頭怜子(久我美子)の視点で進みます。
彼女は身体のハンデから虚無感を抱え、父親とも心がすれ違って孤独な日々を送っていました。
ある日、怜子は中年の建築技師・桂木辰男(森雅之)と出会います。
「大人の傷口にふれてみたい」という好奇心と反発から桂木に近づいた怜子でしたが、やがてそれは激しい慕情へと変わっていきます。
二人は阿寒摩周国立公園へと赴き、そこで初めて夜を共にします。
一方で、怜子は桂木の美しい妻・あき子(高峰三枝子)にも強く惹かれていきます。
あき子の持つ気高さや優しさに触れ、母の愛に飢えていた怜子は罪悪感に苛まれながらも、同性への憧憬と嫉妬が入り混じる複雑な感情を抱きます。
桂木が仕事で札幌市へ出張すると、感情の抑制が効かなくなった怜子は、あき子に対して桂木と一夜を共にしたことを残酷にも打ち明けてしまいます。
そして、深い霧の夜、あき子は自ら命を絶つという悲劇的な結末を迎えるのです。
情念を浮き彫りにする舞台設定
本作において、北海道の風景は単なる背景ではなく、登場人物たちの心象風景そのものを映し出す重要な役割を担っています。
- 物語の主要な舞台となる最果ての港町・釧路は、深い霧に包まれています。
- この視界を遮る濃密な霧は、怜子の行き場のない孤独や、登場人物たちの不透明で危うい関係性を象徴するような、極めて詩的な効果を生み出しています。
怜子と桂木が一線を越える阿寒湖のシーンでは、人間の愛憎の生々しさとは対照的に、雄大で静まり返った自然の威容が描かれます。
この大自然の静寂があるからこそ、ちっぽけな人間たちが抱える燃えたぎるような情念や、引き返せない破滅への歩みがより一層際立っています。
五所平之助監督は、登場人物たちが織りなす言葉にならない感情の揺れ動きを、北国の冷涼な空気感とともにフィルムへ見事に焼き付けました。
映像と文学性がこれほどまでに高い次元で融合している点も、本作が長く愛される理由の一つと言えます。


