私が愛する美しい日本語のひとつに「穏やか」があります。

 

思えば、私はいつも「穏やかな暮らしの風景」に憧れつつ、生きてきた気がします。そして、それはいまだに、かなえられておりません。

 

「穏やかであること」、それは私の悲願です。

 

しかし、今年がはじまって1ヵ月が経過しようとしていますが、およそ「穏やか」とは、かけ離れた心理状態にあります。

 

何事もない、平穏無事な暮らしを求めながら、煩悩にふりまわされる毎日です。

 

安らかな日常、穏やかな時の流れへの憧れは、日々強くなっています。それをかなえるには、やはり、欲を捨てるしかないのでしょうか。

 

欲望は生きる原動力でもあるので、これを捨ててしまうと、生気が失せるのではという心配も一方であります。

 

穏やかな暮らしに憧れつつ、現状打開のために右往左往する日々が、当分は続きそうです。